鬼に会いませんように。鬼になりませんように。
また、ひと月ぶりの書き込み。
9月は映画ばかり見ていた気がする。
しかも、鬼ばかりがでてくるものばかり。
画面の中に出てくる鬼は、人間。
幸いなことに、まだ現実の世界では触れたことがないけれど、世界中の、日本中の、もしかしたら近隣のどこかにも、きっと鬼はいるのだろう(どうか、一生会いませんように)。
人は皆、必ず人として生まれてくるはずなのに、どこでどうしたら鬼に変わっていくのだろう…?と、少年Aの『絶歌』が出た頃から、ずっと考えていた。
話題に加担するのも何だか悔しくて、でも、開いてみたら、Aの親の関わり方、家族の習慣、Aの幼少の頃の様子、変化していくスピードなどを知ることができる。
その情報を持っていることが、我が子のためになるかも…と思うのに、どうしても手に取ることができずに、代わりに手にしたのがこの本だった。
この本は、アメリカの臨床心理学博士、スタントン・E・セイムナウ氏が、犯罪行動についての研究を続ける中で、犯罪予防の大切さに目をつけ、幼少期の注意シグナルをつかむことの重要性を示したもの。
オウムのトップは9人兄妹、『絶歌』の少年Aは3人兄妹ということからも分かるように、同じ両親のもとで育っても、愛情のある家庭で育っても、不足した家庭で育っても、犯罪者になる子はなるし、ならない子はならない、と 記す著者が、数々の事例をもとに、本当に手遅れになるまえに親がすべきことをあげている。
問題行動が目につく子どもでも、親がプロに教えを乞うたり、覚悟を持ってその教えを実践していく姿勢を見せ続ければ、改善を望めるということ。
幼少期や幼児期に、気になる一面が、個性なのか、注意して見ていかなければならない要素なのかを判断するのは難しいと思うし、何でもかんでも敏感に他の子と比べ過ぎるということも問題がある。
けれど、児童期の後半にあたる少年期になっても、思うようにならないと暴れたり、物を壊したり、他者への攻撃や、自傷行為や、動物へ虐待などを繰り返す場合は、「個性だから」「そのうち落ち着くと思う」と、安易に子どもを信じる気持ちだけに寄りかかることは、本当の意味での親心ではないような気がする。
その子の行動を注意深く観察し、必要であればプロに相談し、適切な対応をしていくことこそが、親の役割であり、子を想う心なのだと思う。
そして、そのようなお子さんを抱え、試行錯誤して必要な病院に通っている保護者を、周囲の大人たちも、自閉症などの先天性の病気を抱えて奮闘している保護者と同じように、頑張っているな、という温かい眼差しで見守ることが大切なのでは?とも思う。
「他の子と違う」という事実を、親が受け止めるのには、かなりの労力と時間がかかることだろう。
それでも、その違いを大きくして子どもを社会から孤立させてしまうのも、縮める努力をして、子どもの喜びの瞬間を増やしてあげるのも親次第なのだと思う。
先天性四肢切断で生まれた乙武洋匡さんのお母さんは、産後のダメージを考慮して、黄疸が続いているという理由で母子対面を1ヶ月待たされたけれど、1か月後に初めて乙武さんに会った時の第一声が「かわいい」だったそう。
「どうして家の子が…」「産まなければ良かった…」という感情を抱いて関わりを重ねていたら、現在の乙武洋匡さんはいなかったのではないかと思うし、そのお母さんの一言が、乙武さんのバイタリティや、豊かな人生を決定づけたような気もする。
ある事件の犯人と乙武さんを比べるのは申し訳ない気がするけれど、どのような子であっても、親が覚悟を持って育てていくことが大事なのだろう。
私の思う覚悟とは、絶対に放棄しないという誓い。
そして、覚悟の中には、絶対的に子どもを信じる想いはもちろん、時には子どもを疑う目も持ち合わせていなければならないと思う。
スタントン・E・セイムナウ・著「犯罪者になる子、ならない子」より抜粋。
著者があげる犯罪者になる子の8つの特徴
- 自分のおもいどおりにならないと気がすまない
- 「こんなことをしていいのか」をシャットアウトできる
- 他人を傷つけることをなんとも思わない
- 現実感のない期待とうぬぼれ
- 努力、辛抱、忍耐とはいっさい無縁
- 天才的なうそをつく
- なにもかも人のせいにする
- 自分だけの世界にとじこもる
このリストはあくまでも傾向だけれども、我が子を信じる気持ちの裏側に、これらの要素が色濃く出てはいなか?と疑う目も、親として持ちわせていなければ、と思う。