Sun Catcher

結局は、最期の瞬間に自分を褒められるかどうか

美しいものに反応する心

 

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どなたかがFBにアップしていた美しい写真を、携帯の待ち受けにしている。

心が静かになるような、洗われるような美しさを前に、深い深呼吸をする時間は、日常の中に、大切な一時を生んでいるような気がする。

 

ここ数年、月にまつわる書物を読んだり、月にまつわるアートを飾ったりして、月を見上げる時間も多く持つようになっている。

三日月も、満月も、どちらも好きで、どこか話しかけるような気分で見入ってしまうのだ。

けれど、月へ行きたいとは微塵も思わない。

果てしなくて届かないな……という気分で見上げるのが好きなのだ。

 

実家の裏が神社という環境で育ったこともあり、鳥居にも親しみがあるのだけれど、この写真を日々眺めているうちに、初めて鳥居を美しいと思うようになった。

鳥居の意味は諸説あるけれど、この写真を見ていると、神域と人間の住む俗界を区別する結界であり、神域への入り口という解釈がしっくりとくる。

 

幼き頃より神社が身近にあったことで、目に見えない何かがそばにいるという感覚が自然と育まれている私は、神社にいるであろうどなたかに、様々な悩みを打ち明け、時に心を鎮めてもらいながら成長してきた。

それらを重ね合わせると、なぜこの一枚に強く反応したのか合点がいく。

 

どなたかに語りかけるようにして、自身の心と対話し、自身を見つめなおす場所を持つことは、日々を彩る大切な習慣だ。

たかが一枚の写真でもそれは十分なほどの効力を発揮する。

月を見上げる時に吸いこむ夜の空気も、神社に足を踏み入れた時に体感する神聖な雰囲気も、写真を通して感じることはできないけれど、画像を見つめて深呼吸をする一時は、重ねた時間に比例して、私の中に大切なものを築いていくだろう。

 

美しいものに反応する心は、いつまでも持ち続けたいものだ。