Sun Catcher

結局は、最期の瞬間に自分を褒められるかどうか

サンキャッチャー

 

 

 

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サンキャッチャーの光が泳ぐ部屋は、幼い頃の淡く甘い記憶を思い出す。

 

幼少期から、私は、一人で空想の時間を過ごすことが好きな子どもだった。

 

休日の朝目覚めると、父と母と、一つ上の姉が、布団の中で楽しそうにじゃれている様子を羨ましく思うのに、目を覚ましたことを告げるタイミングを逃した私は、目を固く閉じて、空想の世界へ降りていくのだった。

 

仲のよい三人の間にするりと入り込めないのは私が本当の家族ではないから……。

きっと本当の家族は、いつか私を迎えに来てくれるだろう。

そうしたら、息を殺して寝たふりをすることも、三人の楽しそうな話し声に聞き耳を立てることもなくなるのだろう……。

なんて、幼い頃に多くの子どもが抱く、被害妄想的幸せな空想に浸るのだ。

 

閉じた瞼の上では、休日の朝の光がチラチラと揺れていて、幼い私はまた眠りの中に落ちていく。

そして束の間の眠りの先で目を覚ますと、「ねぼすけだな~」と笑う父が私を抱き寄せ、そんな私を挟むようにして、母と姉が会話を始める。

 

少し前の空想が夢だったのか?と思うほどに満たされた時間の中に、朝の光は

変わらずに差し込んでいる

 

サンキャッチャーの光は、夫と三人の子ども達と暮らす、私の家族時間に彩りを添える。

その光を眺める時、私は、幼き日々の記憶を、甘く、懐かしく、抱きしめる。

そして、今度はそれを、私の家族にどう伝えていこうかと思案するのだ。

もしかしたら、そんなふうに想いを巡らす父や母の気持ちが、休日の朝のあの部屋の中に、光の粒子に混ざって漂っていたのかもしれない。

 

私の中に、今もその粒子は息づいている。