共有するもの
息子達がバスケを初めてから、また、主人がコーチになってから、我が家の休日はバスケの日々だ。
写真は、次男。
格子越しに主人。
写真を撮る私の後ろには、娘。
3月までは、ここに長男がいたのだけれど、彼はもう別のステージへ進み、新しい日々を過ごしている。
ボールの弾む音、バッシュのスキール音、ホイッスルの音、応援の声。
それらは、もう長いこと私たち家族が共有する「音」なった。
熱の逃げない夏の体育館や、冷えた冬の体育館。
初めて訪れる会場。
「景色」としても、本当に多くのものを共有してきた。
時折、身体的にも、精神的に疲れることがあって、
「寿命縮んでるよね」なんて、主人とふざけて話すこともあるけれど、
「それでも、やっぱり、貰ってるものの方が多いよね」という場所に落ち着く。
今も私がこれを書く横では、主人と次男がNBAのプレーオフ一回戦、バックスVSブルズの試合観戦中。
ゲームもバスケばかり。
これからも、家の家族はバスケを通して共有するものが増えていくだろう。
共有の先に会話は増えるから、それこそが我が家の財産なのかもしれない。