妄想対談
E.T.とKUZAN。
彼らに共通するのは自転車。
妄想対談は、疲れた脳を癒してくれる。
「くだらない……」と苦笑交じりに呟くことが、どれほど自分の人生を支えてくれているのだろうと思う。
「ああ、このままこの思考に乗っ取られたらやばいな……」
と思う日が続くと、心を落としかけている自分の弱さにも嫌気がさして、さらに深い場所へと思考を導いてしまいがちだけど、「ぷっ」と笑える瞬間を、無理やりにでも自身の中から生み出すことも、時には必要なのだろう。
笑わない日々は、表情を硬くさせ、思考も同じように凝り固まっていく。
能面のような自分の顔を鏡で見るのも嫌になって、人と目を合わせなくなる。
外に出なくなる。
人と話さなくなる。
呼吸が浅くなる。
眠りも浅くなる。
自分の中の、暗い部分とだけ対話を重ね、その中のループから抜け出すことを、本気で願わなくなる。
そんな日々を過ごした自分の過去も含めて、今の私がつくられているのだけれど、その苦しい日々のおかげで、人の思いに沿う心が育ったような気がする。
妄想力は想像力を育て、想像力は、人の心の内を読み取ろうとする思考力を育てる。
そして柔らかい心は、想像力をさらに豊かにする。
ごっこ遊びを本気で楽しんでいる子どもたちと日々過ごしていると、なんて柔らかい心を持っているのだろう、と羨ましくなる。
彼らの日々は、ごくシンプルだ。
泣きたければ泣き、嬉しい時は身体全部でそれを表現する。
大人になると、なぜそのシンプルさから離れてしまうのだろう。
勝手に複雑にした先で、「本当はこんな想いでいたのに」「言わなくてもそこを酌んでほしかったのに」「ずっと、我慢していたのに」と、結局は自分だけが前面に出てくるような言葉を発する。
???????……だ。
なんて不思議な世界。
子どものような柔軟な心を失いたくないものだと、本気で思う。
だから、時折の妄想対談は、やはり必要なのだな~。