Sun Catcher

結局は、最期の瞬間に自分を褒められるかどうか

朝のバトル

 

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三人子どもがいれば、毎朝の忙しい時間帯に、かなりの頻度で小さなトラブルが発生する。

私はその痴話げんかをスルーしろと自分に言い聞かせて、ダッシュで家事をこなすことに意識を集中するが、スルーできる日とできない日があり、時に一日の始まりの大切な朝を台無しにしてしまうこともある。

 

怒りと諦めの混ざる感情と共に子どもを送り出して仕事に向かう間、こんな感情のまま子どもたちと会えなくなったら本当に最悪だな……と、怒りを鎮めきれなかった自分の未熟さに嘆息する。

そして、仕事先の保育園について部屋に入り、可愛いKIDSに挨拶をすると、意識は一瞬でKIDSへと移行していくのだけれど、KIDSが昼寝に入る前に小さな体をトントンとたたく間に、また朝の子ども達との時間が蘇り、早く会いたいな……と思ったりするのだ。

 

私に小言を言われながら小学校へ向かう三人も、どこかで意識変換をおこして、私との時間を忘れるのだろう。

変換までの時間が長い日もあれば、短い日もあるのだろう。

けれど時折、帰宅した私を迎えてすぐ、「ママ、朝はごめんね」と言ってくる子どもに会うと、どこまで引きずってたのだろう?謝るまでの経過の中で、色々なことを考えたのだろうか?と思案し、人との(親も含め)関わりの中で自分が起こした行いを思いかえし、その後、何をすべきかを考えたのだな……という想像に触れ、彼らへの愛しさが増していくのだ。

 

長男は四月より電車通学が始まるため、次男、長女が起きてくる時間には家を出るようになるから、もしかしたら、この朝のバトルを懐かしく思いかえす日は、そう遠くないのでは?と思えてくる。

 

いつも笑顔で子どもを送り出す穏やかな家庭もあるだろうけれど、本当は私の理想もそうなのだけれど、感情の起伏に対応する力は、こんな何気ない日常の中に勃発する家族の小さな、時に大きなバトルから育っていくのかもしれない。

 

と、自分を正当化してみる。