Sun Catcher

結局は、最期の瞬間に自分を褒められるかどうか

終わりの集結する月

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3月スタート。

終わりの集結する月のはじまり。

長男が、六年間通った小学校の卒業を迎え、三年生より始めたミニバスチームも卒業する。

そして私は、9月より務めた保育園を退職する(短かっ!、でも、短くても濃密な時間の中を生きたから良いのである!!!)

 

終わりがあり、始まりがある。

そこには僅かな不安と、それを勝る期待感とで、春に咲く花々のごとく、

新しい命の誕生に疼くエネルギーが身体中で駆け巡っているような感じだ。

 

変化に怯えてなのか何なのか「今年は大変だね」「大変になるでしょう」

と容易に声を掛けてくる人がいるが、私はその度に???と思う。

大変かどうかは、その時間を生きた人が感じるものであると思う私は、その人が簡単にこれからの私たちの時間を予測して言葉にすることに疑問が生まれるのだ。

 

高城剛さんの著書『時代を生きる力』の中で、高城さんは「大変とは、大きな変化の生まれる時期」と言うことを書かれていて、深く感銘を受けた。

 

「大きな変化が生まれるなら、そりゃ大変でしょうよ」というスタンスで、

「でも、大きな変化の先には、これまでの自分とはまた別の自分が生まれるのだ」

という期待心を持って挑むことが、四月からのスタートの中で、長男と私が持つべき大切な指針だと思っている。

 

だからなおさら、私は適当な声掛けの一つとして「大変でしょう」と言うことは避けたいと思う。

同じ声掛けでも、「新しいことが始まるんだね、楽しみだね」と言う言葉を貰えたら、自分も嬉しいと感じるからだ。

 

私はここにきて、ほんの少し知り始めている。

「大変」「大変」と騒いでいる人ほど不満の多い人生を生きているのでは?ということを。

そして、忙しく、自分の心と体を使って動いている人ほど、「大変」と口にしないのでは?ということを。