Sun Catcher

結局は、最期の瞬間に自分を褒められるかどうか

母の誕生日

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「まさかお母さんが入院するなんて思わなかったよ」

そう言う父に肯きながら、手術後二日経ち、元気な顔で笑う母の笑顔に、

私自身も深い安堵を抱いていた。

 

昨日は母の誕生日だったこともあって、病棟内の休憩室で、父の持参したケーキを食べながら、私は、ありがとうを多く含んだ「おめでとう」を母に告げた。

 

「まだ元気でいてくれるよね」

「ずっと元気でいてよね」

 

と胸中で語りかけながらも、幼い頃に想像すらしなかった母との別れが、現実の想像として触れられるほどの場所に近づいてきていることは否めずに、私は、どうか来年も一緒にケーキが食べられますように、と強く願わずにはいられなかった。

 

母の隣りでは、お見舞いに飽きた娘が、退屈な視線を向けてくる。

私はそんな娘に曇った視線を返しながらも、日常の延長線上にいられる幸せに、

胸が痛んだ。

 

心痛の原因は、今朝ニュースで耳にした、川崎で殺されてしまった男の子の祖父のコメントがよぎったからだ。

 

「祖父として孫を亡くしただけでなく、親として、子どもを亡くした娘の姿を見ることが辛くてたまらない」

 

6年の長男と4年の次男と一緒にニュースを見ながら、彼らに「今の言葉の意味が分かる?分かるなら忘れないで」と伝え、コメントされた、私の父と同世代の男性の心を思って、この事件へのやるせなさに打ちのめされた。

 

退院したら、また家族で母に会いにいこう。

甘えすぎじゃないかな、と思いながらも、娘を預けたり、一緒に過ごせる時間を重ねよう。

 

「手術の前の日、みんな(長男、次男、長女)が『がんばって』って言ってくれたことが本当に嬉しかったのよ。三人の声まで覚えてるくらい」

 

母の人生に、私の家族はもう、大きく、大きく、組み込まれているのだ。

そのことを私自身も忘れずに、これからも三人の子ども達と真剣に向き合っていこう