美しいものに反応する心
どなたかがFBにアップしていた美しい写真を、携帯の待ち受けにしている。
心が静かになるような、洗われるような美しさを前に、深い深呼吸をする時間は、日常の中に、大切な一時を生んでいるような気がする。
ここ数年、月にまつわる書物を読んだり、月にまつわるアートを飾ったりして、月を見上げる時間も多く持つようになっている。
三日月も、満月も、どちらも好きで、どこか話しかけるような気分で見入ってしまうのだ。
けれど、月へ行きたいとは微塵も思わない。
果てしなくて届かないな……という気分で見上げるのが好きなのだ。
実家の裏が神社という環境で育ったこともあり、鳥居にも親しみがあるのだけれど、この写真を日々眺めているうちに、初めて鳥居を美しいと思うようになった。
鳥居の意味は諸説あるけれど、この写真を見ていると、神域と人間の住む俗界を区別する結界であり、神域への入り口という解釈がしっくりとくる。
幼き頃より神社が身近にあったことで、目に見えない何かがそばにいるという感覚が自然と育まれている私は、神社にいるであろうどなたかに、様々な悩みを打ち明け、時に心を鎮めてもらいながら成長してきた。
それらを重ね合わせると、なぜこの一枚に強く反応したのか合点がいく。
どなたかに語りかけるようにして、自身の心と対話し、自身を見つめなおす場所を持つことは、日々を彩る大切な習慣だ。
たかが一枚の写真でもそれは十分なほどの効力を発揮する。
月を見上げる時に吸いこむ夜の空気も、神社に足を踏み入れた時に体感する神聖な雰囲気も、写真を通して感じることはできないけれど、画像を見つめて深呼吸をする一時は、重ねた時間に比例して、私の中に大切なものを築いていくだろう。
美しいものに反応する心は、いつまでも持ち続けたいものだ。
共有するもの
息子達がバスケを初めてから、また、主人がコーチになってから、我が家の休日はバスケの日々だ。
写真は、次男。
格子越しに主人。
写真を撮る私の後ろには、娘。
3月までは、ここに長男がいたのだけれど、彼はもう別のステージへ進み、新しい日々を過ごしている。
ボールの弾む音、バッシュのスキール音、ホイッスルの音、応援の声。
それらは、もう長いこと私たち家族が共有する「音」なった。
熱の逃げない夏の体育館や、冷えた冬の体育館。
初めて訪れる会場。
「景色」としても、本当に多くのものを共有してきた。
時折、身体的にも、精神的に疲れることがあって、
「寿命縮んでるよね」なんて、主人とふざけて話すこともあるけれど、
「それでも、やっぱり、貰ってるものの方が多いよね」という場所に落ち着く。
今も私がこれを書く横では、主人と次男がNBAのプレーオフ一回戦、バックスVSブルズの試合観戦中。
ゲームもバスケばかり。
これからも、家の家族はバスケを通して共有するものが増えていくだろう。
共有の先に会話は増えるから、それこそが我が家の財産なのかもしれない。
自分で考える、ということ
数年前の、一色海岸「Blue Moon」で開催のkeisonのliveへ向かう前の兄妹の写真は、私の大好きな一枚。
今も3人が元気で傍にいてくれることが、奇跡に思えるような世界になってきたな……と、最近のニュースを見て思う。
人間の祈りや、願いが生み出した宗教というものが、形を変えて世界を震撼させるようなテロを生み出しているという事実。
「これをしたらアウトだろ!」と自分に言い聞かせることができずに、同じ年代の子を殺してしまう子どもたち……。
日常の遊びの中で、たまたまが重なって、苦悩の人生を歩むことになった家族のニュースなど、2015年になってからも、重いニュースが心を消耗させる。
けれど、私が不安だ、不安だと言いながら生きるのは、子ども達の健全な心を育てることに障害が生まれてしまいそうだし、かと言って、何でもかんでも、誰でもかれでも、信じて生きなさいと言い切れるほど、警戒心を持たずに生きられる世の中ではなくなってきているように思えるから、耳や胸に痛いニュースを一緒に見ながら、こういう時はどうすればいいか?と子ども達に問いかけ、考えさせて、自分の言葉で答えを発する機会をもつことを心がけている。
世間で起こっていることから目を逸らしたまま生きることはできないし、関心を持たずに生きることもできない。
だとしたら、そんなに悪いことばかりじゃないじゃない。そんなに悪い人ばかりでもないじゃない。と思えるような経験を子どもに多く持って欲しいと思う。
あとはやはり、究極のことを言えば、日々を懸命に生きて欲しいと願うばかりだ。
そして、懸命に生きる日々の中で、自分で考え行動する力を育てて欲しいと思う。
成長と共に世界は広がり、交友関係も広がっていく中で、自分でジャッジする機会というのは必然的に増えてくるだろう。
みんながそうしていたから、という安易な判断で人生を棒に振ることのないよう、自分の心で判断して動ける子になって欲しい。
そして、ここなら安心だと、心を許せるような友人に恵まれたなら、嬉しい限りである。
行けるところまで行こう!
2013~14年の息子たちの所属するミニバスチームは6年生が多く、背の高い子も多く、勝つことの多いチームだった。
長男も試合に出ていたことで、勝つ試合にも慣れ、優勝も二回経験した。
けれど、長男が6年になってからのチームとの差は大きく、春先からずっと、勝てない試合を辛抱強く頑張っていた。
自分でボールを運び、シュートを打ち、すぐにディフェンスもすれば、他の子のフォローに回り、3ピリ、4ピリにもなると体も心も消耗してきて、泣きながら試合をする日々が続いた。
けれど、上手くいかない試合の不満をメンバーにぶつけることもなく、黙々とできることを頑張る姿は、観ていて本当に感動した。
一度、
「そういうのは入れて(シュート)」
とメンバーに言った時は、
「俺が言うから黙ってろ」
と、コーチでもある主人の一言。そして、
「苦しい時こそ、キャプテンの君がメンバーにかける言葉は、『ドンマイ』とか『次いこう』とかがいいんじゃないかな」
と、私。
自分の子ながら、本当に忍耐強いな……と思っていたけれど、
「負けないチームに行きたい」
と長男が言いだしたのは5月も終わりの頃だった。
「受験の為に塾に通いたい」
と言う長男の言葉から、思いがけず受験に乗り出したけれど、あまりの辛抱強さと、まっすぐにバスケを頑張る彼へのご褒美だね、と主人と話して、あっという間に、学校、バスケ、塾の毎日がスタートした。
「バスケをやめずに、塾も頑張る」
と言って、有言実行した彼のこの一年の頑張りは、本当に目を見張るものだったと思う。
コーチである主人への批判の声がチーム内の保護者からあがり、私の心が崩れかけた時、
「バスケやめてもいいよ」
長男は、私の涙を想って言ってくれたけれど、
「僕はやめたくない……」
と言う次男の言葉でなんとかとどまり、痛みが去って行くのを耐えた秋があり、試合続きの中、冬の受験当日を迎えた。
結果は合格。
久しぶりに抱きしめた長男の体は硬くて、男の子から、少年に成長していることを強く感じた。
秋の辛い時期、何を言われようと、子どもの為にと(もちろんチームの子全員)平気な顔で練習、試合に向かった主人と、「やめたくない」と言った次男の言葉が、長男の合格に繋がったと思っている。
なぜなら、バスケが大好きな長男が、練習できず、試合にも出られない日々を過ごしていたら、ストレスでバランスを崩していたと思うからだ。
家族で超えた一年が過ぎ(長女も試合や練習、学校説明会につきあってくれたことに感謝している)、今日、これから通う中学の新校舎を見てきた。
目指した場所にまっすぐに向かった長男の後ろ姿が、ほんの少し大きく見えて、泣けてきた。
目標は新たに抱いてる。
バックアップはするから、行けるところまで行こう!頑張れ、少年!
動くことで掴んだもの
昨年は、自著「Snowdome」を持って色々な場所へ出かけた。
夏の夜の、荻窪「6次元」で開催されていた、「Witchenkare」のイベントにも参加し、「Witchenkare」発行人の多田洋一さんに自著を渡したことで、ご縁を頂き、この度、最新号に寄稿させてもらった(4月1日発売)ことも、出かけた先で掴んだチャンスだった。
無名の私の作品を、読んでくれたことに感謝が生まれ、寄稿のチャンスを頂けたことにも感謝が生まれ、掌編小説で文字数は少ないけれど、何度も何度も推敲して、一作品に込める思いも大きかったように思う。
題名が「Snowdome」ということで、
世田谷ものづくり学校内にある、スノードーム美術館にも持ち込んで、置いてもらうことになったことも、自分で動く、という行動を続けたからだろう。
もちろん、受け取ってもくれないことや、受け取っても発展しないことの方が多かったけれど、本を作ったことで、色々な人たちに出逢えた、ということが、本当に大きな収穫だったような気がする。
そして、素敵な大人の人こそ、人が目標を持って動いていることをバカにしたりしない傾向が強いこともわかった。
私が三人の子ども達に伝え続けたいこと。「本気でやり続ければ、道は開けるよ」と言う言葉も、魅力的な先輩たちは口々に言っていた。
綺麗ごとと笑う人にはたどり着けない場所が必ずあるし、ある場所に向かって突き進む時間は、周囲の喧騒に耳を傾ける時間は少なくなる。
人のことは気にならない。
だって自分には、それよりもやりたいことがあるから。
夢を持つ人が活き活きして見えるのは、そんなふうに生きているからなのかもしれない。
だとしたら私は幸せ者だ。
引っ張る力
長男が生まれてから12年間、妊娠期や、長女がスキーで骨折した次の年を除いては、毎年出かけていたスキー。
主人の両親がスキー達者であることから、Babyの頃は抱っこで、立てるようになってからは足の間に挟んでもらって滑り、スキー靴が履けるようになってからは、レッスンをしてもらいながら、三人とも自分で滑れるようになった。
彼らの経験値、身体を動かす力を伸ばしてくれた両親には、本当に感謝している。
そして今年は、
「四月から、やっと希望校でバスケができるようになるのに、ここで骨折したらやだな……、スキーじゃない旅行にしない?」
と懸念する私に、
「そんなこと言ってたら何もできないじゃん」と主人。
三人の子ども達も、「スキーがいい!!!」とのこと。
少しばかりの不安を抱いたまま出かけた駆け込み春スキー。
結局二日間とも天気に恵まれ、しっかり満喫してきた。
帰りに満足そうな子どもたちを見ながら、いつもこうして、「動こうよ!」
と引っ張ってくれる主人の言葉が、彼らの経験値をあげてきてくれているのだな……
と痛感した。
私の意見だけを通したら、それはそれで楽しかったかもしれないけど、
「楽しすぎる~」という言葉も、
「もう一本いこうよ!」と言う言葉も、
両親と一緒に滑る時間も生まれなかっただろう。
行って良かった。
ウエアのおさがり具合で成長が見えるし(昨年のショットより)、
こんな景色を家族で共有する経験も全て、動かなければ生まれないものなのだろう。
元気で何より。
六年生の長男の卒業式が無事終了した。
先日のミニバスの卒業式が濃密だったせいで、今日はあっさり終わった感じがしたけれど、家に帰る道のりで、
「あ~楽しかった」
と笑う長男の言葉を聞いて、初めて感慨深い想いを抱いた。
四月からの新たなスタートに向けて、こんな気持ちで一つの区切りを終えたことが、ひどく嬉しかったのだ。
新生活への不安は、もちろん長男にもあるだろう。
けれど、今いる場所を巣立つ時に満ちた想いを抱いていれば、僅かな不安が期待心に変換されていくのも時間の問題なのでは?と、思える。
もちろん実際は、数か月後にはもう、中学に馴染めず小学校を懐かしんで涙する日が来ないとも限らない。
けれど、小学校で起きた様々な事象は、時間差はあれど、ひとつひとつしっかりと収まってきたし、負の感情に包まれて、泣いて通った日々だって、いつまでも続きはしないことを、長男自身が学んできているのだから、私はそれらの経験を持ち出して、彼のバランスが大きく崩れないよう神経を注ぐだろう。
私自身が、彼の中学の三年間の成長を楽しみにしているように、彼自身も、自分がどこまでいけるか?ということに期待して、行けるところまで行ってみよう!!と楽しみながら、大切な時期の日々を生きて欲しいと思う。
卒業おめでとう。
元気で何より。
楽しそうで、さらに何より。